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  • 戦火を生き抜いた東京の巨樹たち 小石川・本郷界隈をぶらり歩き

    東京都 本郷・小石川

    2時間程度(約4km)

     本郷・小石川界隈は、台地と低地が複雑に入り組んだ地形をしており、多くの坂道や斜面緑地、湧水を利用した緑豊かな庭園が点在する魅力ある地域です。

     明治以降、台地にあった広大な武家屋敷は、大学や公園用地、公共用地などとして活用され、特に教育施設が多く集まり、旧加賀藩前田家上屋敷は帝国大学(現東京大学)となるなど、多くの官立、私立学校が区内に設立されました。
     太平洋戦争(1941 年~1945 年)では、数回の空襲により文京区内の大半が焼け野原となりましたが、根津、弥生、西片、本郷にかけての一帯は戦災を免れており、当時の町割りや木造住宅などが残っている地域もあります。森鴎外や夏目漱石、樋口一葉、石川啄木、幸田文など数多くの文人たちのゆかりの地でもあります。

     関東大震災、東京大空襲から生き残り、再開発での伐採をまぬがれ、ときにビルの合間に生きる巨樹をめぐって、文人たちが愛した本郷・小石川界隈をぶらり歩きするコースを紹介します。

    【アクセス】
    東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」1番出口からスタート

    【行程】
    ・スポット1 光圓寺(こうえんじ)のイチョウ
     ↓ 徒歩10分程度(650m)
    ・スポット2 善光寺坂のムクノキ
     ↓ 徒歩25分程度(1.5km)
    ・スポット3 赤門前のスダジイ
     ↓ 徒歩12分程度(750m)
    ・スポット4 本郷弓町(ほんごうゆみちょう)のクス
     ↓ 徒歩20分程度(1.2km)
    ・スポット5 湯島聖堂の楷(かい)の木

  • 光圓寺(こうえんじ)のイチョウ

    ・幹周り740cm
    ・樹 高6m
    ・樹 齢伝承1000年
    ・所在地文京区小石川4-12-8 光圓寺(明照幼稚園)内

    スポット1

    光圓寺(こうえんじ)のイチョウ

    「平和をかみしめる貴重な古木」

     1909年発行の都内の古木355本のランキングが記された『老樹名鑑』のなかで、西の横綱に格付けされたイチョウです。戦前は文部省指定の日本一の大銀杏とされていましたが、東京大空襲で上部が焼失し、幹の内部も空洞化して指定から外れました。
     それまでの威容とはまったく違う現在の姿ですが、焼けて炭化しながらも、今だひこばえを伸ばし、青々とした葉をつけています。子どもたちの元気な声があふれる幼稚園の園庭のなかにあり、平和な毎日を過ごす大切さに思いをめぐらされます。現在まで大切に守られてきた方々の気持ちが感じられる貴重な古木です。*平日は幼稚園が開園しているため、見学はご遠慮ください。土日のみ巨樹見学可能。

  • 善光寺坂のムクノキ

    ・幹周り500cm
    ・樹 高13m
    ・樹 齢推定400年
    ・保護指定文京区指定天然記念物
    ・所在地文京区小石川3-18番(ポケットパーク内)

    スポット2

    善光寺坂のムクノキ

    「江戸時代から地域を見守る」

     『江戸名所図会』(江戸時代後期に刊行。江戸及びその近郊の絵入り名所地誌)に描かれているとおり、江戸時代も傳通院(でんづういん)から澤蔵司稲荷へ続く参道の途中に生育していました。その後、道路整備、拡張の工事が行われ、現在は道路の真ん中に残されています。地域の方々と長い間生活を共にし、親しまれてきた貴重な巨樹です。
     大正時代の調査では樹高が約23mもあったと記録が残っています。東京大空襲によって上部が焼けてしまい、危険だということで昭和30年代に3分の2ほど幹が伐採されてしまいましたが、現在も生育状態は良好で、幹の炭化した部分を見なければ空襲にあったとは思えないほどです。
     日本の近代文学を代表する作家である幸田露伴は1927年に当地に居を構え、疎開するまで住んでいました。戦後は露伴の娘、幸田文の住居であり、露伴の孫にあたる青木玉が「椋の木」というエッセイでムクノキの思い出を語っています。「家の庭の向うに、道路の真中、大きな椋の木があって、道いっぱい枝を拡げていた。二階の祖父の書斎に坐れば、まるで木の枝の上に居るような感じで廊下のガラス戸を開ければ枝先がさわれそうだ」(青木玉『小石川の家』(講談社、1994年)

  • 赤門前のスダジイ

    ・幹周り不明
    ・樹 高11m
    ・樹 齢90年以上
    ・所在地文京区本郷7-3-1

    スポット3

    赤門前のスダジイ

    「東京大学本郷キャンパスの巨樹たち」

     東京大学本郷キャンパスは、イチョウ、ケヤキ、クスノキが多く植樹されていますが、かつての本郷台地は、常緑樹のシイノキ林だったと推定されています。現在もキャンパス内のあちこちにシイノキが生えています。
     有名な赤門の両横に鎮座しているスダジイはとくに絵になる風景です。赤門は関東大震災でも東京大空襲でも焼けませんでした。赤門の正式名は「旧加賀屋敷御守殿門」といい、国の重要文化財に指定されており、加賀藩(今の石川県)の大名・前田家が、将軍家から妻を迎えるにあたって建てた朱塗りの門です。当時の慣例として、将軍家から姫をもらう際には「門を赤く塗る」という決まりがあったそうです。
     構内には安田講堂前のクスノキ(幹周り399cm)、東大工学部一号館前のイチョウ(幹周り497cm)をはじめとした巨樹が見られます。
    *本郷キャンパスの立ち入りは新型コロナ感染症予防のために制限される可能性があります

  • 本郷弓町(ほんごうゆみちょう)のクス

    ・幹周り850cm(地上約1.5m)
    ・樹 高20m
    ・樹 齢推定600年
    ・保護指定文京区保護樹木
    ・所在地文京区本郷1-28-32

    スポット4

    本郷弓町(ほんごうゆみちょう)のクス

    「ビルのすぐ横にのびのびと」

     ビルのすぐ横に生育していますが、驚くほど大きくのびのびと育っています。パークハウス楠郷臺管理組合が所有・管理している樹木で、文京区みどりの保護条例に基づいて、1979 年に保護指定されました。
     もとは楠木正成の弟・正季の子孫にあたる甲斐庄氏のお屋敷で、このあたりは、元は「弓町」という町名であったことから、このクスは町名を引いて「本郷弓町のクスノキ」と呼ばれてきました。また、あたりがビルになる以前はフレンチレストラン「楠亭」があったので、「楠亭のクスノキ」とも呼ばれています。
     司馬遼太郎は『街道をゆく 本郷界隈』で、「一樹で森を思わせる」と、その印象と由来を記しています。5、6月には小さなクリーム色の花が咲き、秋に黒い実をつけます。

  • 湯島聖堂の楷(かい)の木

    ・幹周り220cm
    ・樹 高14m
    ・樹 齢不明
    ・所在地千代田区文京区湯島1-4-25

    スポット5

    湯島聖堂の楷(かい)の木

    「近代学問発祥の地で会える被災樹木たち」

     外堀通りを東に向かって歩くと、左側に練塀(ねりべい)が見えてきます。塀が高くて中は見えませんが、ここが湯島聖堂です。日本に現存する数少ない孔子廟(儒教の祖である孔子を祀る廟所)で、こちらを訪れると目に入るのが、大成殿に向かう道の手前で枝を広げる「楷の木」です。楷の木は、枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれています。別名はランシンボクです。
     1915年に白澤保美博士が中国を訪れ、孔子の墓所から種を採取して持ち帰り、その後、東京目黒の林業試験場で苗に仕立て、湯島聖堂などの儒教にゆかりのある学校に寄贈されました。
     構内には4本の楷の木があり、解説版近くのものは1937年に植樹された記録が残っています。1923年の関東大震災により大きく罹災した湯島聖堂ですが、この楷の木は1945年の東京大空襲を生き延びました。
     他に神農廟 (しんのうびょう)の前に震災による大火で被災した十数本のイチョウがあり、毎年開催される神農祭のときだけ、その一部炭化した姿で力強く生きる様子を見ることができます。




  • 占春園_小さな看板

    ・所在地文京区大塚3-29

           そのほかの見どころ

    ぶらり歩きにおすすめの公園 占春園(せんしゅんえん)

     地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅の北東、徒歩5分。駅からほんの数分のところに、こんな気持ちのよい緑地が残っているのかと驚きのある場所です。占春園は、筑波大学東京キャンパス文京校舎敷地内にある庭園ですが、一般にも公開されています。
     徳川光圀の弟・松平頼元が、1659年に屋敷を構えた庭園の名残で、かつてはホトトギスの名所としても知られていました。
     中島のある池のまわりにはイチョウなどの大木が生い茂り、静かな雰囲気を漂わせています。小さな看板には「作家の幸田文さんが小鳥の好きな実のなる木を植えているので、大事にしてくださいね」とあり、小鳥の声を聴きながらほっこりできる都会の癒し空間です。