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  • C.W.ニコルさん

    巨樹には、生き残った理由がある

    C.W.ニコルさん(作家、環境保護活動家、探検家)
    2018.1.13

閑貞桜の子

「巨樹の子どもを残す」

 日本の森は多様性があって素晴らしいですね。北から南、高い山から谷までいろいろな環境があって、そこには多種多様な動植物が育っています。17歳までいた私の故郷ウェールズは、牧草地が多く森林面積は4%、木の種類も英国全体で14種類ぐらい。だから、日本に来たとき、なんて素晴らしい国なんだろうと思いました。そして、この自然をフィールドにしたこの国の林学は、間違いなく世界一の水準のはず。今後、地球が温暖化などで変わっても、日本の生態系はその知恵で維持できるでしょう。ただし、よっぽどバカなことをしなければ、ね。(笑)

 その多様性のなかで長く生きてきた日本の巨樹には、生き残った理由があるんです。だから、その強い遺伝子を持つ子どもたちをできるだけ増やしてほしい、と僕は思っています。1980年から僕が住んでいる長野県の黒姫に、閑貞(かんてい)桜という大きなしだれ桜がありました。その桜が病気になって、樹木医さんが悪いところを切ったり、土を全部入れ替えたりしたのですが、治療の甲斐なくダメになっちゃったんです。でもね、その桜の子どもたちは、閑貞桜のある神社の周りや僕の土地で育って、素晴らしい桜になっています。日本中の巨樹・巨木林は記録するだけじゃダメで、これからは増やしていくことを考えていかなければ。

 例えば、巨樹があるお寺とか国立公園のレンジャーに、「その種(たね)を分けてくれませんか?」とお願いして、2~3年自分の所で育てたあと、その土地の植えられる場所に移植して増やしていけばいい。巨樹の子どもを作って残していく、こういう運動も大事だと思います。

 16年前の話ですが、締結100周年の日英同盟を記念して、英国のウィンザー城からオーク、ナラの子ども200本を持ってきて日本国内で英国に縁のある場所のあちこちに植えました。当時、「そんな場所にオークは絶対に生育しない」と言われた所にも植えたんですが、みんな元気に育っていますよ。こんなふうに、各国の大使館やいろいろな組織を巻き込んで植樹活動をすれば、世界中の人々との交流も生まれます。

「種(タネ)の中にある巨樹の秘密」

「アファンの森」

 1986年に僕は、長野県上水内郡信濃町にある約9ヘクタールの荒廃した森林を買い取り、この森を「アファンの森」と名付け、仲間たちと一緒に森林生態系の再生に取り組んできました。「アファンの森」のいちばん年上の木はミズナラで、僕と同じくらいの年で78歳ぐらい。僕は、自分より若い木のことを「この子」、同い年くらいの木には「この人」と呼びます。木にも魂があるから、こういう気持ちになるのは僕にとって自然なんです。間伐が必要なときは、木に斧を当てて「ごめんね。これからこういう理由で伐りますよ」と言います。もちろん僕も若いときからチェーンソーを使っています。でも、「アファンの森」ではチェーンソーは使いたくない。そういったものは全部禁止して、斧とか鉈とか伝統的なやり方がいい。そう言うと、うちのスタッフは反発するんですけどね。(笑)

 また、ずいぶん前の話ですけど、「アファンの森」の手入れをしていたときに1人のおじいさんに出会いました。着物姿で帽子をかぶって、まるで大正時代から抜け出たようなおじいさん。湧き水の所で、僕が「いかがですか、この水はおいしいですよ」とコップを差し出したら、そのおじいさんが「ありがとうございます」と水を飲まれ、「ここは懐かしい風景だのぉ」と言われたんです。すごく嬉しかったですね。そして巨樹・巨木林は、このおじいちゃんよりも、僕たちのひいひいひいじいちゃんよりもばあちゃんよりもずっと長く生きています。目に見えなくても年輪には全部、歴史が刻まれているんです。そして、これからもずっと生きて、種(タネ)ができる。巨樹の秘密のすべてが、この種(タネ)のDNAの中にあるということを想像してみてください。

黒姫の馬

「日本の風景に馬を」

 さて、森づくりの次に僕が何を目指しているかというと、日本の風景に馬を取り戻すこと。これは新たなライフスタイルの提案です。今、黒姫には2頭います。今、いろいろなところで問題になっていますが、黒姫においても、林道がないので間伐した材を森から出すことができない。でも、馬がいれば、「馬搬」ができる。馬自体が道であり、材を出す道具だから、馬がいれば荒れた森を間伐することができるのです。さらに、エコツーリズムやセラピーとか、馬がいればいろいろなことが可能になります。

 黒姫に住み着いたとき、山を知りたいという理由で地元の猟友会に入りました。当時、信濃町の猟友会のメンバーは69人でしたが、今は16人くらい。斑尾、黒姫、飯綱など、近隣の山々を歩きました。当時は全部に道があったんですけど、今はもう誰も行かないから無くなってしまった。僕はその道を、馬を使って少しずつ拓いていきたい。そしてホースサファリやスノーシュー、クロスカントリースキー、マウンテンバイク、散歩道に山菜採りができる道、そんな昔からある道を復活させたいと考えています。

 こういった地方のライフスタイルは若い人にも魅力があるはずです。都会で暮らすにはお金がたくさん必要です。そのお金をかせぐために、大切な人と過ごす時間がなくなるということもあるでしょう。地方には、いろいろなライフスタイルの可能性があることも、これから伝えていきたいことのひとつです。